「本当の教育、教養とは、子供の時に学校で学んだ物を捨てた時から始まる。」
アルベルト・アインシュタイン
日本の教育では「考えさせない」ことが使命
ところで、人間はいろいろ物を覚えさせれば自然に「考える」人間になってしまう。
しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが使命としてある。
教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。
それには、次の5つによって、成し遂げられている。
(1)暗記を押し付けて「考えさせない」
(2)苦手を押し付けて「考えさせない」
(3)制服を押し付けて「考えさせない」
(4)規則を押し付けて「考えさせない」
(5)団体行動を押し付けて「考えさせない」
暗記をひたすらやらせると、考えるヒマがない。
だから、学校は考える余裕がなくなるほど、暗記させる。
暗記教育が悪いわけではないが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしているのは問題だ。得意を伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だ。
誰もが苦手なものを考えるのは苦痛だが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまう。その結果、誰も考えなくなってしまう。
制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法である。
細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものなのである。
学校が馬鹿げているほど細かい規則を守らせるのはなぜか。
究極的には「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すためだ。
日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出していると言っても過言ではない。
あなたは考えているだろうか?
あなたの受けた教育は、社畜になるための教育だったのだから、「自分を取り戻す」ためには、学校で覚えたことはすべて忘れる必要がある。
ただ、サラリーマンで居続けたい人間だけは、考えてはいけない。
下手に考えると、社会からはぐれてしまうからだ。
wbeコラム
スポーツ界でも同じなのである。
集団行動などの統制された訓練は、ミッションを遂行するためにある。
多くの日本スポーツ界の集団行動訓練は、パブロフの犬を作りだし、選手を指導者の意のままに操る自己満足の粋にある。
集団で、ゲームにおけるミッションをコンプリートするための訓練ではない。